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酷道マニアになったきっかけ 国道158号との出会い!そして国道157号へ

はじめまして。

このブログを作ってます、まるちゃんと申します。

このブログを閲覧下さりありがとうございます。

今回は、自己紹介も兼ねてプロフィールというか、何故自分が酷道マニアになったか?その経緯と、酷道に対する思いを話したいと思います。

自分は平成2年車のNAロードスター、マリナーブルーに乗ってます。この車に乗って峠を越えるのが大好きです。元々AT限定免許でATのロードスターに乗ってたのですが、MTのロードスターを乗りたい!と思い、MT限定解除をし、この車を手に入れました。

この車を運転して色々な所へ行くのが楽しい!でも、あまり自分は観光地とかには興味はなくて。とにかくこの車を走らせる目標としてどこでもいいから観光地を設定し、そこに向かってこの頃は走ってました。その観光地自体にはあまり興味はないけど、ただ運転する目標が欲しかったんです。

そんな中、今度はどこに行こうかな?っと、連休中の新潟の実家でググって、岐阜県の高山市にある「古い町並み」に行こうってことにしました。

グーグルマップを検索すると、そんなに往復に時間はかからない。さあ、行こう。

その時、グーグルマップは国道158を指し示してた。

この道は松本市街から通じてるのですが、道中明らかに山へ向かってくことになります。思いっきり山に向かって走ってるけど、高山ってどこにあるの?山に行きたいんじゃなくて、高山に行きたいんだけど、、、。

この時の認識としては松本も高山も有名な町だし、その町をつなぐ国道に危険があるわけないと思ってました。グーグルナビ見てもすぐ着くことになってるし。

国道158の道の駅「風穴の里」へ。

この時、本当に不安の気持ちしかなかった。

ここには東京電力のダムがある。自分は高所は苦手なので遠目に見るだけでもちょっと怖い。自分は高山に観光に行きたいだけ。何でこんな場所にきちゃったの?濃い霧と、ダム湖に囲まれて、不安の気持ちしかなかった。

引き返したいけどせっかくここまで来たのに、、、と思って、ナビの指し示す方向へ走り出す。

右手にダム湖を見ながら、不安な気持ちでハンドルを握り続ける。

この時は青看板とかに特に興味はなかった。トンネル内分岐とか重要な情報が書いてあるけど、目に入らない。ナビの指し示す方向に行くだけだ。

トンネル内分岐!?この時はまさかトンネル内で分岐があるとは思わず、ナビも見てなかった。やまかんでハンドルを右に切る。

え。トンネルから出たら、ダムの上を通れと、、、。しかもその先は吸い込まれるように、山をぶち抜いてるトンネルの入り口に繋がっている。何というルート選択してるんだ!?この道は!?

その後もガードレールがあるとはいえ、左下のに断崖が続く道に不安をおぼえつつハンドルを握り続ける。また、その断崖を見ながら片側交互通行規制による停車を余儀なくされたりして、さらに不安がつのってゆく。この区間は、今になればそれ程酷道度は高くない。けど、峠を走るのが初めてだった自分にとっては、、、。まぎれもなく酷道でした。

何か立派なトンネルを抜けて、ここまできた。この時は、このショートカットのルートのありがたさなんて知るよしもない。このトンネルが用意されてることを当たり前だと思ってた。この立派なトンネルが、かつて酷な道を往復せざるを得なかったこの地域の人達によって、どんなに切望され、切り拓かれたかも知らずに。

「古い町並み」をうろうろするも、帰りにまたあの道通らなきゃと思うと憂鬱で、早々に切り上げる。

帰路。こんな看板見たんですね。天下の国道158号という道を通り、高山と松本という有名な町通しを行き来するのに、無事を祈らなきゃいけないんだと、、、。天下の国道なのに、、、。日本ってどこに住んでようと、隣町に行く位簡単な事だと思ってたのに。

無事に実家に帰宅して考えました。

高山と松本という有名な町通しを行き来するのは、この今の日本においても危険が伴う。事実、少なくとも自分は危険を感じました。でもその道を切り拓いた人は、決して危険な道を作ろうと思って作ったんじゃない。一番安全なルートをと思いつつあの道を切り拓いたのだろうと。トンネル内の分岐や、ダムの上の道路も適当に作った訳じゃない。あそこにアスファルトを敷き、車両が通れるようにし、高山と松本の間を安全に移動するのに最善を尽くした結果があの道になったんだろうなと思った。

日本っていうのは山の上にできてる国で、町から町への移動はほとんどの場合山を超えなきゃならない。高山と松本の間もそう。つまり峠を超えなきゃいけない。でも、そこで峠を越えるって簡単に言っちゃいけない。昔々の時代から、彼らはその峠を越える為に必死になって道を切り拓いて、踏みしめてきたはず。峠を越えられず数えきれない程の人達が、その峠の道中で力尽きたと思う。その先人が切り開いてくれた道の上に近代の日本人はアスファルトを敷き、現代の自分達は自由に車両で行き来できているんだと思った。

日本のインフラ技術は世界一と言われるけど、なろうと思って世界一になったんじゃないと思う。結果としてインフラ世界一にならざるを得ない位、日本って単に頑張ってインフラ整備しないと隣町に行くのさえ困難な国だから世界一になったのだと思う。隣町に行くのにそこにある峠を越えるだけのことが、それだけのことが、日本においてはどんなに困難なことかをはじめて知りました。

色々酷道と言われる道を走っていると、地球の反対側のブラジルに行く道中の方が安全だろ!と思う時がある。でもね、そんな酷い道でもね、昔々の彼らは必死にその道を切り拓いてきたんだ。その道の上に近代の日本人はアスファルトを敷き、現代の自分達は自由に行き来できてるんだと。

どんな酷道だって、必ずその道を切り拓いて踏みしめてきた人がいる。そして、そこにアスファルトを敷いてくれた人がいる。絶対にその人達のことを忘れちゃいけない。今の時代に酷道マニアと称して、こうして酷道を楽しめるのは彼らのおかげだと。

ちょっと変わった道を走ることに興味が出てきた。この時お世話になったサイトがあの有名な「国道を往く」というサイトでした。全国の国道をトレースし、紹介されています。近くに面白い道はないかなと調べていると、国道403がヒットしました。早速行ってみよう。このサイトでは国道全道、しかもその間の区間ごとに酷道度を示していらっしゃいます。403の酷道度はトップレベルの★5、、、。まあ、どうせ行くなら、、、と思い、、、。

酷道区間の入り口で工事に従事されてた作業員さんは、そこを通り過ぎる自分を見て物珍しそうな顔をしてたのを覚えてます。「この道の先、どなっているか分かってるのかな?」みたいな。まだひとつのカーブを曲がらないうちに、幅員が1.2車線に、、、。酷道初経験の自分には、まさかこの道が目の前にある山を越え、この長野から新潟までつながっているはずがないと確信しました。

最初のコーナー、入り口からここまでの道ではじめての旋回スペースがある。自分はもう本能的にこの先に進むのはまずいと感じ、撤退を決意します、、、。この先、引き返したくてもこうした旋回スペースはあるとはかぎらない、、、。すぐに引き返してきたスポーツカーをみて、あの作業員さんはどんな風に思ってたのでしょうか?

撤退し、挫折はしたけれども、さらに酷道に対して興味が沸きはじめました。日本の道って決して単一的なもんじゃないと。色々な景色があるに違いないと。次はどこへ行こうと思って「国道を往く」を参照する。国道405がヒット。またしても、酷道レベル★5。でもこの国道は確かに酷な部分はあるけれど、楽しかった。

確かにこれが国道かよwって、ギャップを楽しむ自分がいる。それは否定しない。

でもその道を、その酷道を生活道路としている人がいるんです。自分が趣味で通ってる道を命綱の道路としてる人達がいる。そこに通る酷いwと言われてる道を切り拓いてくれた人達と、そしてその道に対して、自分のどこかしらかに尊崇と感謝の意を持つようになった。

確かに405は酷な部分は多々ある。でも、この405は全てがどうでも良くなる程きれいな景色も見れた。

酷だけれど、楽しかった。

その後、すっかり酷道マニアになってしまった自分は、いろいろな道に突っ込みました。有名な酷道、無名な酷道。途中まで行って引き返さざるを得なくなったけど、旋回スペースが全くないため、その後はひたすら10分位かけてバックで安全区間に戻ることもあったけど、それもいい思い出。

それってどこの峠だったかな?福島県のどこかの市道だった気がします。

この頃凝視してたサイトが、これも有名な「TEME酷道」というサイトでした。

そこで国道157のレポートを見させていただき、この道が酷道の頂点だと知りました。「落ちたら死ぬ」の看板は、酷道という言葉を知ってる人なら知らない人はいない。国道157こそがキング オブ 酷道であると知り、強く走りたいと思うようになりました。けれど数年前から通行止めの様子。これは今でも変わりません。157開いたという話はここ最近聞いたことはない。

幸か不幸か、この時は走れてしまったんです。

157って確かに落ちたら死ぬって部分はたくさんありました。

でも、全てを投げ出して、大の字で寝て空を見たいって風景がたくさんあった。

どんな酷道だって、酷な部分ばっかじゃない。

 

 

きれいな景色じゃなくても、たとえ汚い景色の連続であっても、その酷道には必ずほかの道にはない魅力があるんです。

この温見峠を岐阜県側から越えた後、また一歩間違えたら死ぬって区間は続いた。酷道マニアにとってはたまんない。酷い道だぜ!これが国道かよw。そう思うよ、自分も。

でも、じゃあこの峠を切り拓いて、アスファルトを敷いてくれた人達はどうだったんだろう?この峠を切り拓いた時、アスファルトを敷いた時どういう思いだったんだろうか?

酷い道だぜ!これが国道かよw。そんなことを思っていただろうか?

ただ、そこにある峠が安全に、そして自由に行き来できるようになればと思ってたはず。

自分は酷道を楽しむ酷道マニアではあるけれども、その人達の思いを思い続ける酷道マニアでいたい。

その思いを持った上で、これが国道かよwって楽しみたいんです。

 

このブログを閲覧下さりありがとうございました。

 

誰にも届かぬだろう酷道への思いを、誰かに知ってもらいたいと思いブログを始めました(^▽^)/

もし、少しでも興味もってくれたら、これからもよろしくお願いします。

ありがとうございました。

 

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