こんちゃん!
酷道を走るのが怖い!
酷道マニアのまるちゃんです。
今回は、あの上杉謙信vs武田信玄、戦国時代で最も有名な合戦のひとつである川中島の戦いの舞台である妻女山を登る酷道?を紹介します。
もっとも距離は短く、酷道と言うほどの道中ではないのですが、歴史のロマンを感じながら走れるのでおすすめです。
そもそも川中島の戦いとは何か?
まあほとんどの方は知ってると思うが、時は戦国時代。越後(現新潟県)の龍こと上杉謙信と、甲斐(現山梨県)の虎こと武田信玄が、宿命のライバル通しここ川中島でガチで戦ったバトルの事だ。今回紹介する妻女山がからむのは、第四次川中島の戦いと言われていて、一般的な認識ではこれが川中島の戦いとされている。
戦いの詳細は省くが、妻女山は上杉謙信があえてこの不利な場所に陣を敷いたとされるとこ。川中島の戦いのロマンを求めてこの地に訪れる方は多いだろうが、川中島の戦いの最重要ポイントは海津城(松代城)でもなく、八幡原でもない!ここやろ!って思う方も多いのでは(笑)?
戦国時代の歴史は東西問わず地方にとっては重要な観光ポイントなはず。川中島古戦場史跡公園は、あの有名な謙信と信玄の一騎打ちの像もあり、小規模ながら立派な観光地だ。
大河ドラマにもなった、武田信玄の軍師 山本勘助が討ち死にした場所と言われる場所にある勘助宮跡。長野オリンピックのメインスタジアムの脇にある。まさか勘助も自分が討ち死にした場所が数百年後、世界中の熱狂の中心地になるとは思ってなかったろう。
そして、川中島の戦いにおいて武田信玄の拠点となった海津城(江戸時代以降でいう松代城)跡。うーん、規模は大きくないけど、しっかり地元に大事にされてる。、、、何が言いたいかと言うと、、、。
妻女山の入り口は国道403沿い、上信越道の下をくぐる所にあるのだが、案内看板一切なし!(2回通り過ぎました、ただの農道だと思ってたので)
脇は一面畑。酷道マニアにとっては、酷道の入り口らしい風景だ。
しかしながら、川中島の戦いの最重要ポイント!のはずが扱いがひどい、、。
この道が妻女山の展望台にたどり着くとは到底思えないのだが、ここしか道がない為、勇者は疑念を抱きつつこの道を進むことにした。
右に上信越道が走る。非名阪国道に限らず、高規格道路の脇は大抵酷道な気がするのは勇者の先入感か?雲行きがあやしいんだが。
当然こうなる。勇者の嫌な勘はあたってしまった。
この線形!酷道マニアは歓喜だが、展望台へ行こうとする方々の大半は眉をひそめるのでは?
酷道マニアには基本である鋭角な切り返しと勾配のコンボ!
距離は短い。ただ、常にこの1.2車線をキープする姿勢!
善良な一般の観光客の皆様にとってはあれだが、勇者は感服する。
道が平坦に。
この先に川中島の戦いの最重要ポイント 妻女山の展望台があるはず。
ただ、何となく道が荒れているのは?昨日が土砂降りだったからか?
駐車場はこの先との標識もあったので、勇者は凱旋し、エンドロールへの道筋を確信。
しかしながら荒れた路面に、あやしい看板!進む先が決して将来の自分の幸せには決してつながらないであろう道が視界に入り、勇者は急Uターンし、停車!
まさかここが、川中島の戦いの最重要ポイント 妻女山の駐車場?
途中には確かにこの先駐車場とのアナウンスがあったから間違いない、、。長野市のお墨付きの駐車場だ。
しかしどう考えても、酷道直前にある最終転回ポイントにしか見えない。
勇者は少し前に見た風景を全て忘れ(ようとして)観光に徹する。
川中島古戦場史跡公園にもあった「たいまつ」のレプリカ。
一万超の軍勢の灯としてはさみしいが、まあよし。
誰かを祭ってるであろう建物。(調べない(笑))
だが、妻女山の最大の見どころは多分こうしたものではない。
川中島の戦いの舞台となった八幡原が一望できる。
所説あるが、妻女山に陣どった謙信は信玄の居城の海津城も一望出来た。その海津城から飯を炊く煙が増えたのを見て謙信は夜襲を悟り、その逆手をとって夜のうちに下山し、明くる朝、霧が晴れると同時に夜襲組と戦力が分断された信玄の本陣を急襲!
真実はともかく、本当に八幡原が一望できる。
信濃の国(長野県)は山の上に出来た県。山から川中島の平野一面を一望出来るのは貴重。長野県の山に登って望む景色は山だってのが常なので、本当に貴重。しかも歴史のロマンを感じられる。おすすめ!
エンドロールへ。
フィナーレ。
勇者の帰還。
このブログを最後まで閲覧くださりありがとう!
最後に。
この道を必死で切り拓いて、踏みしめてきた人達と、この道にアスファルトを敷いてくれた人達。そして、この道に対して、尊崇と感謝の意を表します。
ありがとうございました。